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東京家庭裁判所 昭和40年(家)10379号 審判

申立人 林田邦男(仮名) 外一名

主文

申立人らの氏「林田」を「沢村」に変更することを許可する。

理由

一、当家庭裁判所昭和四〇年(家イ)第二六一六号離縁無効確認調停事件記録添付の各戸籍謄本および同調停事件の経過ならびに本件における申立人両名に対する各審問の結果によると、次の事実が認められる。

(一)  申立人林田邦男は、昭和一〇年二月二八日当時の本籍が茨城県新治郡○○村大字○○八〇二番地申立外沢村正同人妻たみ(その後昭和一一年二月二二日右沢村正と協議離婚をした)と養子縁組をなし、同夫婦の養子となり、沢村姓を称したうえ、同年五月四日同籍の右沢村正の実妹(戸籍上は同人の姪と記載されている)である申立人林田やえ(当時沢村やえ)と婚姻し、その後昭和三〇年四月一九日妻である右申立人林田やえ(当時沢村やえ)とともに分籍届出をなし、土浦市大字○○八〇二番地に新戸籍を編製したものであること、

(二)  ところが、右沢村正は申立人林田邦男(当時沢村邦男)の不知の間に同申立人の署名捺印を冒用して申立人林田邦男(当時沢村邦男)と協議離縁をした旨双方名義で昭和四〇年五月一一日土浦市長に対し届出を了し、そのため申立人林田邦男および申立人林田やえについては、現本籍地に林田姓で戸籍が編製されることになつたこと、

(三)  右沢村正は、昭和二四年一二月一四日現在の妻明子と婚姻し、その間に昭和二四年八月一八日長男一男を儲けており、自らの死後の遺産の処理等を考慮して、申立人林田邦男に無断で右協議離縁届出をしたこと、

(四)  もともと、右沢村正および当時の妻たみが申立人林田邦男を養子としたのは、右沢村夫婦に実子がなかつたところから申立人林田邦男と実妹の申立人林田やえとを婚姻させて沢村家の後継者にするためであつたのであるが、現実に申立人ら夫婦が、右沢村正と同居したことは一度もなく、既に右沢村正に実子がある以上、申立人林田邦男も右協議離縁自体の効力を争つてこれを無効とする迄の意思はなく、ましてや将来右沢村正の遺産を取得したいとの意思も全然なく、むしろ右協議離縁を追認してよいとの意向を有すること、

(五)  申立人林田邦男が当家庭裁判所に対し右沢村正を相手取つて前記協議離縁が無効なことを確認する旨の調停申立をしたのは、専ら、過去三〇年間にわたつて、沢村姓を称して相当広範囲の社会活動をなしてきたのに、突如として林田姓に復氏させられて、社会生活上著しい支障を来たしたためであること、

(六)  申立人林田邦男は、過去三〇数年間にわたつて、茨城県内各地の小、中学校において教員を奉職し、相当広範囲の社会活動をしている者であつて、右沢村正との離縁に基づき林田姓に復氏したことにより社会生活上著しい支障を来たしているものであること、

(七)  右沢村正は沢村家祖先伝来の田畑等を承継取得していたのであるが、既にその田畑も処分し、本籍地を離れて東京に居住しておるのに反し、申立人ら夫婦は、右沢村正の処分した、田畑の一部を買い戻して現に取得し、これを耕作して本籍地に居住していること、

二、以上の認定事実その他諸般の事情を総合考察すれば、申立人両名が現在の氏「林田」を「沢村」に変更するやむを得ない事由があるものと認めるのが相当であるといわなければならない。

よつて、氏変更の許可を求める本件申立は理由があるから、これを認容することとし、主文のとおり審判する次第である。

(家事審判官 沼辺愛一)

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